前回は、川崎のムサコ・武蔵小杉に触れました。
続いては、同じ東急線沿いの武蔵小山です。
武蔵小山は、目黒から2駅という素晴らしい交通アクセスにも関わらず、商店街をはじめ小さな店が軒を連ねる、ちょっとディープながら活気のある街です。
足を運んだのがゴールデンウィークの初日ということもあり、アーケード商店街は非常に賑わっていました。
ここで白状しますが、タイトルに「多摩川クラシコ」という単語を入れたのは記事をキャッチーに伝えたかったのが目的で、おそらく武蔵小杉と武蔵小山は争ってはいないはずです(笑)
むしろこれから書きたいのは、「ムサコのムサコ化への危機感」です。
つまり、武蔵小山が「武蔵小杉化」しつつある、ということです。
それの何が問題なのでしょうか。
今回武蔵小山に足を運ぶきっかけになったのはこの本です。
この本のなかで、武蔵小山の再開発について触れられています。
この本を読むまで知らなかったのですが、武蔵小山には「暗黒街」と呼ばれる、戦後のバラック小屋街を起点とした飲み屋街がありました。
その名が示すように、昔はなかなかヤバい場所だったみたいですが(笑)
近年は(地元民に浸透していたかは別として)「りゅえる(フランス語で小路の意)」という名前が付き、女性の一人飲みもできるような街になっていたそうです。
そのりゅえるは今取り壊され、タワマンが建設中です。
この場所の成り立ちを意識しているのでしょうか。「日本一、感じのいいタワマンへ。」とは、随分挑発的なキャッチコピーだなと思います(笑)
もちろん、夜の店が溢れた暗黒街と比べれば、「感じのいい」街なのかもしれません。ただし先ほど紹介した『本当に住んで幸せな街』では、「官能的」すなわち、店舗の充実とか公園の広さとかそういう観点ではなく、街の景色を立ち止まって見たとか、そういう身体的あるいは精神的な部分が街の評価に繋がっているといいます。
となると、武蔵小山にタワマンが建つということはどういうことか。
よく言われることですが、均質化により「この街でなければならない理由」がなくなってしまいます。
今回はタワマンの議論を中心に触れましたが、地方であれば食べ物などに当てはめても分かりやすいと思います。
近年のB級グルメブームも、結局はイベントでの鉄板調理がしやすく、焼けた匂いで惹きつけることのできる焼きそばやホルモン焼きばかりが並ぶ事態となっています。
型にはめればやりやすい。でもそれでは長続きしないことに、気づかなければならない時期に来ていることは間違いありません。
最後に、武蔵小山の商店街で気になったものを一つ。
常設の店舗の他に、空いたスペースを利用して不定期の店舗もあるようでした。野菜とかも売ってました。
商店街が色々と苦労する理由の一つに、住居と店舗が分離されていないために、店舗としての成立の可否に関係なく、例え店が潰れたとしてもそこを空きスペースにしたまま、生活が続くということがあります。
商店街を街として成立させるのであれば、ある程度の新陳代謝が必要です。今後はこういうシェア型の店舗が鍵になっていくんだろうなと思います。
街の姿が作り変えられていくこと自体は、是非の問いにくいことです。しかし一つだけ言えるのは、武蔵小杉はこれからも武蔵小杉で、武蔵小山はこれからも武蔵小山であり続けて欲しいということです。
(訪問日 : 2018年4月28日(土))