特に予定のない平日休み。
なんとなく思い立って、多摩ニュータウンへと足を運びました。
「多摩ニュータウン」と一口に言っても、何駅にもまたがる広大な敷地。あちこち回ることはできないので、今回その多摩ニュータウンのなかでも最初に開発の始まった「諏訪・永山地区」へ行ってみました。
*Wikipediaの入れ知恵なので、詳しい歴史はよく知りません。
新宿から京王線に乗って30分ほど、調布を過ぎて稲城に差し掛かったあたりから、多摩ニュータウンのある多摩丘陵へと入っていきます。
しかしまあ、当時の人々はよくこんなところに街を作ったなと思うくらい、意外にも山深いんですね。まあ逆に言えば、0から街を作るならもうそういう土地しか残ってなかったということだけれども。
というわけで到着しました永山駅。諏訪地区方面へは小田急側から出ます。
いきなりタイムスリップしたかのような看板がお出迎えです。開業当時から変わらないであろうことは古めかしいフォントが語ってくれています。
最近は小田急の駅も下北沢の地下化を筆頭に各地で駅が新しくなっていますが、開業当初から高架であったがために逆に古い看板が残ったというところが興味深い。
駅前からも集合住宅群がチラッと見えます。早速、小田急永山駅の南側へと進んでいきましょう。
以前、大阪の千里ニュータウンにある阪急の北千里駅へ足を運んだときのことを思い出しました。なんとなく雰囲気が似てるなぁ。
歩道はとても綺麗に整備されています。新緑の時期ということもあり、より一層気持ち良く感じました。テスト期間だったのか、昼過ぎの割と早い時間帯だったものの、たくさんの高校生とすれ違いました。
多摩ニュータウンは高齢化の象徴として語られることの多い土地ですが、(かつて多くの子供がいた名残もあり、)永山駅周辺にも学校が多くあるようです。
永山駅付近はこんな感じで"意外ときれい"です(失礼)。ニュータウンのなかでも最も古い地域ということでもっとボロい建物が並んでいるものと勝手に考えていましたが、さすがにリノベがそれなりに進んでいたり、一部はマンションブランドbrilliaに置き換えられていたり(後述するかも)するので、駅から近い範囲を見る限り団地感はあまりしませんでした。
多摩ニュータウンを紹介していたあるブログで「最近は『多摩ニュータウンっぽい』写真を撮れるアングルが少なくなった」という趣旨の文章がありましたが、それをなんとなく感じました。
が、
500mくらい南下したあたりから様子が変わります。「ここからが本番だよ?」と、怪しげな誘惑を受けている気分になってきたので、さらに南下します。
一際ボロい建物が見えてきました。
どうやら廃校跡のようですが、今も創業支援?の施設として使われているみたいです。今でも周辺には学校が多いと言いましたが、それでも最盛期からは相当子供も減っているのでしょう(というか昔が多すぎた)。
なかなか伝えられる写真がないのですが、広い道は基本的に「谷」を通っています。そのため、現存する団地や学校は基本的に丘の上にあるため、階段がすごいことになっています。
あちこちにこのレベルの階段があり、高齢者の方々にはしんどいでしょうね。もちろん生活実態に合わせて、多くの箇所でスロープが併設されていて、電動アシスト自転車を使う人も多く見受けられました。
ちなみに上の写真は多摩永山中学校の入り口になります(多分裏口だけど)
そして丘の上にあるのが、 永山3丁目団地。
いよいよ団地っぽくなってきましたね。各棟の番号を記した文字のフォント、良い味を出しています。
テンションが上がってきました。
しかしこの日の気温は30℃近く。
日差しも強く、気づいたら1km以上南下してきていたのもあり、同じ建物の連続で数分歩いたら飽きてきました。正直もう帰ってもいいなと思いました(笑)
とはいえ今回の「本丸」、諏訪地区に到達していないことを思い出し、今度は東へと針路を変えます。
あとから振り返って言えることですが、
この時点ではまだ、多摩ニュータウンの本気を見られていなかったようです。
続きは次回。
(訪問日:2018年5月15日(火))