長野県にある空港は?と聞かれて真っ先に思い浮かべるのが、松本市にある信州まつもと空港です。というより、一般にいう「空港」は県内では信州まつもと空港が唯一となり、長野市はオリンピックを開催した県庁所在地でありながら、空港がありません。
長野市には過去にも空港はなかったのかな、と何となく地図を眺めていたところ、何やらそれっぽい空間を見つけたので、調べてみました。
地図上の不思議な円、実は…
これがその場所の地図です。
場所は長野駅から南東方向に2kmほどの辺り。謎の円形の道路、そしてその下につながる真っすぐな道路…これは何かがあったな…とふと横に目をやると、
長野飛行場跡地だと…?そんなものがあったことを、この時初めて知ることになりました。
平成初期まで存在した長野飛行場
長野飛行場は、1938(昭和13)年から1990(平成2)年まで当地に存在したのだそうです。
閉鎖から30年以上経過した旧長野飛行場ですが、現在でも遺構は見られるのでしょうか?実際に現地を歩いて確かめてみました。
今回はアルピコ交通バス・松岡線の河原口バス停からスタート。この近辺は日中でも30分間隔でバスが運行されているので、車がなくてもアクセスは比較的容易です。
ファッションセンターしまむらを目印に、あの円形がある場所へと向かっていきます。早速現れたのが、謎の広い空間。円形そのものの場所ではありませんが、飛行場の遺構を匂わせるような空間と早速ご対面です。
飛行場跡ということで広大な敷地を転用したからか、周辺には工場がいくつか立ち並んでいます。中には、あの「いむらや」の工場も。ちなみに自分は、いむらやに権堂駅前店が存在したことをこの時初めて知ったのでした。
少し余談でしたが、先述の円形部分についに突入です。2棟の集合住宅(市営団地)を、円形の道路でぐるっと囲む形です。ありそうでない形状。
敷地の広くない飛行場では滑走路上で飛行機を転回させますが、この円形がまさにそのスペースを想起させます。これはわざとこの形状で残しているんでしょうかね。
一つ気になった建物がありました。この周囲でも群を抜いて古そうな倉庫。飛行機の格納庫にも見えてしまいそうな建物ですが、考えすぎですかね。この場所に配送センターを構える企業の所有物のような気がするも詳細が分からず、情報があれば教えてくださいな。
しばらくこの円形道路を味わいたいところですが、住宅を囲う道路をいつまでもグルグルしていたら不審者と思われかねないので、今度は滑走路が伸びていたであろう南の方角に向かっていきます。
滑走路跡の使い方
元飛行場の敷地は、外縁部分が戸建て住宅や工場に、そして滑走路部分はその特殊な形状ゆえ住宅地には向かなかったのか、中学校や保育園、そしてグラウンドや体育館になっていました。
この川合新田グラウンドが、おそらく滑走路部分の南端にあたるみたいです。円形の市営団地部分(北端)から800mあるかどうかといったところで、滑走路としては小型機が使用するのがやっとといった具合。いくら最晩年がオリンピックの開催が決まるかどうかだった時期とはいえ、「空港」に転用するのはあまりにも非現実的だったのでしょうね。
立派な石碑と、不自然な物体
飛行場跡を一通り歩き終えた気がしますが、まだ冒頭の石碑を見に行っていませんので、来た道を戻りつつ、今度は松岡二丁目バス停を目指して歩いていきます。
ついに、Googleマップでも見ていたあの石碑とご対面。この手の石碑にしては、周りも含めて立派な気がします。手入れも結構しっかりされてる?
Googleマップで偶然見つけたところから飛行場跡を感じる散歩ができて、かつこんな立派な石碑で歴史を知ることができて満足。さあ、あとはバスに乗って帰るだけ…と思ったのですが、最後の最後に興味深い物体を見つけました。
石碑から50mほど東へ、ファミリーマートの前に出る角の所です。
これは事前情報で知らなかったので、ある意味一番テンションが上がりました。やっぱり現地を歩いてみるものですね。
長野飛行場跡のことをもっと知りたい
今回はGoogleマップで飛行場跡を見つけたことからほとんど思いつきで歩きに行ったので、正直なところ長野飛行場のことについてほとんど調べられていません。ごめんね。
ただ、やはり軍用飛行場として造られたこともあり、戦時中には空襲の標的になったりもしたようです。ネットにも情報は少ないですが、せっかくなのでいろいろと調べてみようと思います。詳しいかたはぜひ情報ください。よろしくお願いします。
最後に長野飛行場に関する気になるリンクを載せます。それでは。