長野新幹線車両センターを覚えていますか?
その名前を知らずとも、「新幹線が水没した場所」としてその衝撃的な映像とともに思い出す人は数多くいるでしょう。
あの台風被害から8ヶ月が経過した今なお、被災した車両の一部は現地に残っています。今回は、被災車両たちと周囲の現況を見に歩いてきましたので、ぜひご覧いただければと思います。
豊野駅から歩きで
今回は、長野駅からしなの鉄道北しなの線で3駅の豊野駅からスタートします。
県道368号線を千曲川方向へ進んでいくと、10分ほどで車両基地が見えてきます。
車両が並んでいるのはこの写真の奥の方、長野駅方面に行く必要があります。車両基地横を歩いていきます。
少し歩くと、さっそくポツンと1両止まっているのが見えました。
あくまで浸水被害なのではっきりとした外傷などはなさそうなのですが、連結器が取り外されていますのでおそらくこれもE7系の被災車両なのでしょう(被災車両の細かい型番などの解説は他の方へお任せします)。
車両解体中…?
さらに進んでいくと、建屋から物を解体するような音が聞こえてきました。
入り口が布(目隠し?粉塵飛散防止?)で覆われており、中が全く見えませんので憶測にすぎませんが、手前に同じくE7系の中間車が並んでいたことから、その編成の廃車解体が進んでいるものと思われます。
外に出ている中間車両でも、車内で何かしらの作業が行われていた模様です。
これらの車両たちも、解体は時間の問題なのでしょう。まだ古くない車両たちの突然の廃車、解体する方も辛いでしょうね。
そしてもう1両ありました、先頭車。こちらはTOKYO2020塗装。
もちろん台風の当時はコロナのコの字もない頃ですが、この光景はその後に起こる混乱を暗示していたのかとさえ思ってしまうほどです。
なんたる皮肉。
基地か、墓地か。
これもまた皮肉か、その横にある「長野基地之碑」を完全に「墓地」に空目してしまいました。大変失礼いたしました。
そこからもう少し長野方面に歩くと、車両基地を東西に跨ぐ高架橋があります。
この高架橋から、ニュースでもさんざん流れた”浸水した新幹線が並ぶ光景”を今でも見ることができます。
金網がかぶってしまったのはご愛嬌ということで。
この辺り一帯が水に浸かったなんて、想像できなかったです。正直。
ぱっと見は普通でも…
せっかくここまで来たので、高架橋の反対側、赤沼地区にも行ってみます。
さすがにそれなりの期間が経過していますので、爪痕を感じさせるものはあまり見当たりませんでしたが、よく見てみると、
瓦礫とおぼしきものが積み上げられている場所があったり、
こんなところもあるんですね。
「長野写真洗浄プロジェクト」だそうです。
※現在はコロナの影響で洗浄依頼・ボランティア受け入れとも休止中とのこと
なかなか全国規模で報じられることはありませんが、こうしてまだまだ被害は続いているということです。
それにしても、今回歩いた赤沼しかり、隣の長沼しかり、やはり地名は地形を反映しますね。
こういう地質を反映した地名に着目してみると、街歩きがもっと面白くなりそうです。