「む」の境地

旅と音楽とまぜそばと

【あの地名を追ってin長野 Vol.6】飯山市木島と木島平村〜木島駅って木島平村だと思ってました〜後編

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 個人旅行へ にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 長野県情報へ

前回は、飯山駅を出て長野電鉄木島線の廃線跡を巡りつつ、木島駅跡までやってきました。後編では、複雑な境界を歩きます。

上木島は木島平村、下木島は飯山市

市村境を越えるために、旧木島駅(飯山市)から道の駅ファームス木島平(木島平村)に向かって歩きます。とは言っても、その距離わずか800mほど。あっという間に到着です。

f:id:musan_tr_gh:20221022203713j:image
f:id:musan_tr_gh:20221022203728j:image

道の駅ファームス木島平は、そば屋やカフェも併設した比較的新しい道の駅ですが、その所在地は木島平村大字上木島となります。上木島地区は飯山市方面から木島平村へと入る際に最初に通る地区であり、その「先端部」は、千曲川の支流である樽川よりも飯山市側に位置しているのが特徴です。


(飯山市と木島平村の複雑な境界)

道の駅から樽川に沿って県道38号線を北上すると、ほどなくして「下木島」の看板があります。

f:id:musan_tr_gh:20221022210502j:image

上木島が木島平村なので、下木島も木島平村かと思いきや、下木島地区は飯山市にあります。

そしてこの下木島地区についても、樽川を挟んで木島平村側にも広がっており、両市村の境は現在の樽川の位置と関係なく広がっていることがよく分かります。川を渡っていないのに木島平村から飯山市に入っていたり、川を渡っても両岸とも飯山市だったりします。紛らわしい。

もう一つ気になることがあります。それは樽川の西側にそびえ立つ立派な堤防。

f:id:musan_tr_gh:20221022210851j:image

私はこの樽川のことをよく知らなかったので、さぞ大きな川なのだろうと勝手に思っていました。しかし、下木島地区を東西につなぐ「こどよはし」を渡ると…

f:id:musan_tr_gh:20221022211203j:image
f:id:musan_tr_gh:20221022211223j:image
f:id:musan_tr_gh:20221022211251j:image

なんということでしょう。堤防は片方だけ、そして橋が東側に向かってのみスロープ状となる不自然な地形となっていました。これは気になりすぎる。さらに調べてみることにしました。

災害の記憶

この堤防については、1982(昭和57)年の台風18号による豪雨災害が大きく関係しています。

1982(昭和57)年9月10~13日の台風第18号では、佐久から北部で総雨量が140~200mm以上、南部では200~300mmとなり、千曲川水系の中小河川が氾濫し、飯山市の樽川が決壊しました。死者2名、負傷者33名、被害総額は約554億円となっています。

「長野地方気象台|秋の特徴」より

長野地方気象台|秋の特徴

このとき決壊をした樽川というのが、まさにこの場所。甚大な被害を受けて大規模な河川改修が行われた結果、このような立派な堤防ができた、ということです。実際に樽川沿いには、「樽川激特事業 竣工記念碑」が立っていました。なお、激特とは「激甚災害対策特別緊急事業」の略です。

図らずも、この土地を襲った甚大な災害の歴史を知ることになりました。公共事業の記念碑って必要?って思うことも多いのですが、このように役立つこともあるのですね。

f:id:musan_tr_gh:20221022213108j:image

ちなみに、この昭和57年台風18号は、同じく千曲川沿いに甚大な被害をもたらした令和元年台風19号と似たようなコースで上陸した台風です。今後のために覚えておくと良いでしょう。

なお、先述のように樽川の西側にのみ高い堤防が造られたのは、東側の方が土砂の堆積により元々土地が高かったことが関係しているようです。

では、飯山市と木島平村の複雑な境界についてもこの河川事業が関係しているのかというと…ごめんなさい、結論から申し上げるとこの入り組んだ市村境については詳しい理由を突き止めることができませんでした。図書館で関係する市町村誌を見る限り、分かったことは以下の通りです。

1)飯山市誌より
・1950年代のいわゆる「昭和の大合併」の時期に、現在の飯山市・木島平村・野沢温泉村域を飯山市として合併する計画が浮上するも、現木島平村にあたる3村(往郷・上木島・穂高)は純農村地帯での合併を希望し、木島平村として別に合併。(『飯山市誌 歴史編 下』P492)
・飯山周辺の千曲川はここ数百年の間で見ても頻繁に流路が変わっており(『飯山市誌 自然環境編』P80~83)、どこかのタイミングでの千曲川の流路に沿って境界が定められたものと考えられるが、詳細は分からず。

2)上木島村誌より ※上木島村は現在の木島平村上木島に相当
・1918(大正7)年の発行であるものの、付属の地図を見る限り、現在と境界線はあまり変わらないと思われる。

3)木島村誌より
・1972(昭和47)年発行の同書にも地図があるが、やはり境界は現在と変わらず。

以上から、現在の市村境については各自治体が現在の形になった1950年代よりさらに前には形成されており、先述の激特事業が原因ではないようです。
詳しい方がいたらぜひ教えてください。なんかモヤモヤする…。

なお、上記の市誌・村誌は長野市立図書館で館内閲覧専用の資料を用いたため、地図の引用などはできませんでした。あしからず。

おまけ1:木島平村の公共交通

ということで、これで飯山市・木島平村境の探索は終了です。飯山駅に戻るための交通手段を調べていなかったのですが、調べてびっくり。実質的には野沢温泉と飯山駅を結ぶ長電バスの路線が1日8往復あるだけで、朝夕メインのため日中には2時間ほど間隔が空くこともありなかなかの不便さです。
(飯山駅と野沢温泉を結ぶ直行バスは通らない)

www.nagadenbus.co.jp

村民向けには朝の飯山駅方面、夕方の木島平村方面に村営のマイクロバスが出ていますが、これも本数が少ないため利用機会は限られます。マイクロバスというかワゴン車ですね。

f:id:musan_tr_gh:20221022214714j:image
木島平村役場最寄りの中村バス停から乗車しましたが、飯山駅まで自分含めて2~4名程度の乗車しかありませんでした…

f:id:musan_tr_gh:20221022215127j:image
f:id:musan_tr_gh:20221022215154j:image

おまけ2:木島平村の非公認キャラはまさかの「ゾンビ」

最後に、木島平村の非公認キャラクター、きじまっ猪のご紹介。きじまっちょと読みます。

道の駅ファームス木島平にはきじまっ猪の紹介コーナーがあり、YouTubeにも動画がありますが…なんときじまっ猪、アニメの初回で死にます。で、本設定?はゾンビだそうです。

なかなかエッジの効いたキャラクター、ぜひチェックしてみてください。

* * *

地名、地形、廃線跡に災害の歴史…思っていたよりたくさんの見どころがあるエリアでした。冬には豪雪地帯にもなりますが、新幹線で直接訪れることもできるので東京からも意外と近いです。飯山市と木島平村、ぜひ足を運んでみてくださいね。