ゴールデンウイークに横浜を歩いてきました。今回はその振り返りです。
とは言っても、この記事にはみなとみらいも、中華街も、山下公園も、一切登場しません。その点はご了承ください。
ではどこを散歩したのかというと、主にJR根岸線の西側。横浜駅を出発し、野毛や福富町といった横浜屈指の繁華街、そしていわゆるドヤ街として知られる寿町といった、横浜のスーパーディープスポットを潜り抜け、駅でいえばJR石川町駅の少し先まで歩きました。
根岸線を挟んで性格が変わる横浜の街
横浜観光といって多くの人が思い浮かべるのは赤レンガ倉庫や中華街、そして山下公園…これらはいずれも海沿い、JRの線路よりも東側に広がるスポットです。それゆえ、「横浜=海」というイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか?
一方で、JRの線路よりも西側のエリアには、場所によって住宅街であったり、ディープな繁華街であったり、小刻みにその様相を変えるのが大きな特徴です。少なくとも、観光客が思い描くような「キラキラした港町」の姿は、そこにはありません。
この差の要因は、両側で土地の成り立ちが大きく異なるからに他なりません。横浜市のHPにも記載のある「横浜港変遷図」を見ると、明治期以前には現在のJR根岸線の東側に相当する地域は大半が海であり、土地の性質が大きく異なることは容易に想像がつきます。
それでは、実際に歩いてみましょう!
平沼橋~高島町~桜木町:”東横線の廃線跡”が残るまち
まずは横浜駅を出発し、駅の西側、平沼方面へと歩いていきます。横浜駅と平沼の位置関係はこんな感じ。
地理感覚の鋭い方ならお気づきかと思いますが、「平」「沼」という字から想像できる通り、この辺り一帯は江戸時代の新田開発によって生まれた土地のようです。JR根岸線の線路から海側の土地が幕末の開港期に埋め立てられたのに対し、開港以前に成立していた地域であることが特徴です。
気になる方は先述の「横浜港変遷図」をご覧ください。
そうした事情もあってか、古くから残る味のあるお店が(横浜にしては)多いのがこの周辺の特徴です。そんな平沼でお邪魔したのが、「寿ヾ㐂家菓子舗」さん。創業は明治33年だそうです。
素敵なおばちゃんに引き寄せられるように…
時期も時期だったので、かしわ餅をいただきました。みそあんってあまり見なくない?
横浜駅から歩いて10分そこそこの場所にこんなに歴史を感じるお菓子屋さんがあったとは。またおばちゃんを訪ねて行きたいものですね。
少し話題が逸れましたが、今度は戸部・高島町方面へ向かいます。戸部(京急線)、高島町(横浜市営地下鉄)はいずれも横浜の隣駅ですが、横浜駅周辺とは打って変わって住宅街の印象が強いです。
ただし、先述の平沼界隈が下町のような空気感であるのに対し、戸部・高島町エリアはマンションも多め。少しハイソな住宅街にありがち(個人の感想です)なスーパー「マルエツプチ」があるのも納得がいきます。まいばすけっとじゃなくてマルエツプチなのが重要です。知らんけど。
マルエツ プチ 花咲町六丁目店 - マルエツ|しあわせいかつ。
当ブログではすっかりお馴染みの地理院地図を参照すると、戸部や高島町付近は横浜駅周辺よりも少しだけ標高が上がっていることが分かります(ほんの数mの違いではありますが)。
一概に断言できるものではありませんが、標高数mの違いで街の雰囲気が少し変わるというのは、非常に興味深いです。
高島町~桜木町間は線路沿いを南下。このあたりは約20年前に廃止された東急東横線の旧線区間の高架橋が残されています。遊歩道とされる計画もあるようですが遅々として進まず、何かが通るわけでも、上を歩けるわけでもない橋がただ残されている状況が続いています。
野毛~福富町~伊勢佐木モール:野毛は陰にあらず
ここまでは、まだ序の口。
桜木町駅を過ぎて、駅前の「ぴおシティ」が見えてくると、いよいよ横浜の中でも特にディープなエリアの始まりです。
ぴおシティ地下の飲食街から、すでにたくさんの誘惑が待ち構えています。我々は野毛でお店を予約していたのでここでは飲みませんでしたが、うっかりするとこの地下街から出ずに散歩終了、という展開になりかねないほどには魅力的でした(笑)
で、まあね、世の中には野毛飲みを紹介する記事は数多あると思うので細かいことには触れませんが、とにかく魅力的であることは確か。建物好きとしては、野毛の代名詞である「野毛都橋商店街ビル」を見ることができたのが嬉しかったです。
背後に高層ビルがそびえ立つことで、手前のディープ感が際立ちます。たまらないですね。
ただし、この時点では私はまだ気づいていませんでした。本当のディープスポットは、川の向こうにあるということに…。
野毛も十分ディープなイメージと共に語られますが、近年では若い人などでもこのエリアで昼飲みは普通のことになりつつあり、「治安が悪い」「女性には危険」といったことは特にないように感じます。
しかし、野毛の南側にかかる都橋から振り返ると、背中にはラブホテルやら、ソープランドやら。ここから明らかに街の流れが変わっていきます。そう、ここは横浜でも随一の(夜の)繁華街、福富町です。
実をいうと訪問時は福富町のことは一切知らなかったのですが、一歩足を踏み入れた瞬間から感じる異質さから、すべてを感じ取りました。知識がなくとも感じることができる…これもまち歩きの魅力の一つなのです。
このカットだけを見るだけでも、明らかに日本ぽくない空気感が漂っていることが分かります。そして…
たとえ風俗店であっても、その姿は非常に堂々としています。一周回って清々しさすら覚える光景です。野毛からも5分~10分ほどで歩けますが、歩く人の層も立ち並ぶ店も明らかに変化します。日本語はほぼ聞こえず、こちらが外国に来たような錯覚です。
福富町の歴史については、下記の「はまれぽ」の記事が詳しいです。
現地に着いたのは平日の午後2時前後だったのだが、営業している店は風俗店を除けばごくわずか。人の往来もまばらで、たまに聞こえてくる言葉は外国語ばかり。
野毛が雑然とした繁華街の印象をもってメディア等で伝えられることが多いですが、実際に歩くとその感覚はそれなりに崩されます。ディープな飲み屋街である野毛ですら実際には”明”の部分であり、本当の意味での”暗”の生き字引のような存在が福富町と言えるのかもしれません。
福富町の目と鼻の先に通るのが伊勢佐木モール。50mも離れていないであろうこの通りには多数のチェーン店が立ち並び、買い物客が行き交います。訪問時は横浜スタジアムでプロ野球が終わった直後ということもあり、ユニフォーム姿の人々で賑わっていました。
もちろん伊勢佐木モールを行き交う人々の大半は福富町に足を運びませんし、存在すら知らないでしょう。この「見えないバリア」こそが横浜の奥深さなのかもしれません。
寿町~山手:標高で豹変するまちの姿
福富町の話題が長くなりましたが、まだまだ南下していきますよ。ちなみにここから歩く場所はこんな感じです。ライブ会場やバスケットボールの試合会場としても知られる横浜武道館周辺にかけては、比較的明るく歩きやすい街になっています。つい数分前まで福富町の怪しいムードの中を歩いてきたのがウソのようです。
ただ道路を直進するだけでこれだけ景色が変化するのだから驚きですが、まだ終わりません。横浜武道館を過ぎた瞬間、またしても異様な光景が広がり始めます。
そう、ココこそが東京・山谷、大阪・西成(釜ヶ崎)と共に「日本三大寄せ場」と称されてきた横浜のディープスポット、寿町なのです。
無機質な宿泊施設、謎に増えるコインランドリー、言葉を交わすわけでもなく、交差点に集まる高齢者たち…一瞬にして「そこ」だと分かる光景に、緊張感も幾分増します。さすがに写真を撮る気はなかったので、画像なしでお送りいたします。
「ドヤ街は近年ゲストハウスなどに改装されて外国人客も増えてまちの様子が変わっている」という言説はここ10年ほどであちこちで聞かれるようになりましたが、実態としては他の場所とは明らかに様子の違う高齢者が道端に座っているなどの景色が現在でも残り、ただのまち歩きとして歩くには緊張感の走る場所です(山谷と同じ感覚)。
ちなみにですが、お時間に余裕がある方は、ぜひ上記の地図の縮尺を変えて、石川町駅周辺を観察してみてください。この周辺だけ土地の区割りがやたら細かいのが興味深いです。
さらに興味深いことに、石川町駅の南側には、地図上でちらっと見えている「横浜女学院中高」に加えて「フェリス女学院中高」「横浜雙葉中高」と、私立の女子校が並んでいます。
ドヤ街と私立女子校が同じ最寄り駅ってどういうこと?と思いたくなる気持ちも分かりますが、ここについても地形がある程度解決してくれます。再び地理院地図を見ましょう。
地図の右下あたりが石川町駅周辺です。
「石川町」と女子校エリアのある「山手町」では標高が30m~50mほどの差があり、しかも急な崖となっていることから両地区は大きく隔てられたような地形になっているのです。
ここから南には「山手」や「本牧」といった高級住宅街として知られる地域が広がり、ここまでご紹介した街とは全く異なる光景が広がります。もちろん住む人々の層も大きく異なります。
まとめ
思いがけず結構な距離を歩いてしまいました。
誇張抜きで通り数本ごとに街の様子も歩く人の層も全く異なります。横浜という都市の奥深さを感じられるまち歩きでした。
歩く方に熱中しすぎてあまり写真撮れてませんでした。すみません。。