2021年一発目の記事。
前回の記事にて告知していたシリーズもの、「あの地名を追ってin長野市」の第一回です。
記念すべき第一回で歩く町は、長野駅から5kmほど南下した地区、下氷鉋です。「しもひがの」と読みます。
見慣れない氷鉋という地名、いったいどういうルーツなのでしょうか。実際に歩いてみました。
難読なのでひらがなにされるバス停
下氷鉋という地名は、長野市民ならずとも耳にしたことがある方はいるかもしれません。
というのも、下氷鉋には長野市と都内を結ぶ高速バスの停留所があります。
こちらが京王バス・アルピコ交通の新宿・池袋⇔長野のバス路線図なのですが、下氷鉋だけひらがな表記になっています。難読ゆえの配慮なんでしょうかね。
そして、バス停の看板も同様に、ひらがな表記がメインとなっています。
ただし、同じく東京方面のバスを運行する他2社については、漢字表記のようです。ちなみに、昨今の状況下でこの2社の東京方面のバスは運休となっています(昌栄バスの関西方面は運行)。世知辛いですね。
なお、上の写真の背後にいるWILLERは下氷鉋には停留所がありません。
「こおり」と「かんな」で「ひがの」
ここで、改めて氷鉋という漢字にフォーカスしていきたいと思います。
”氷”に”鉋”でひがの。鉋単独では「かんな」と読みます。
鉋とは、かんな/材木の表面を削るための大工道具などの意味をもつ漢字。13画の画数をもち、金部に分類される。
いや読めねーよって話なんですけど、この氷鉋という地名はかなり古くから存在しているようで、そのルーツが当地の神社にあるそうです。
早速行ってみます。
古くから存在する氷鉋の地名。ヒントは神社に
この辺り一帯の氷鉋という地名は、下氷鉋地区にある氷鉋斗賣神社(ひがのとめじんじゃ)の主祭神である宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)の名前から来ていると言われています。
氷鉋斗賣神社は、下氷鉋のバス停から西へ歩いて5分ほどのところにあります。
住宅街に現れる鳥居が特徴。ちょっと気づきにくい場所にありながらも、しっかりとした存在感があります。
ちなみに現地では、氷鉋斗賣神社ではなく氷”銫”斗賣神社になっています。
この銫という漢字、鉋と同じく「かんな」と読むのと同時に、なんと「セシウム」とも読むそうです。びっくり。
セシウムを表す。日本語では、鉋の異体として、かんなという意味がある。
ますますなぜこの漢字が用いられたのかが気になるのですが、残念ながらそこまでの情報にたどり着くことができませんでした。。
市街化区域と市街化調整区域
神社に向かう道すがら、こんな看板が目に留まりました。
非常に見にくいのですが、市街化区域と市街化調整区域の境を示す看板になっています。
この境は実際にはかなり細かく設定されていますが、ざっくり言うと神社の南側が市街化調整区域、北側が市街化区域となっています。下氷鉋一帯がちょうど境目のような場所にあるので、古くからの農村集落と、ロードサイド店舗が立ち並ぶ大通りの両方の景色が見られます。
上記の内容はこちらを参考にしました。行政地図情報、面白い!
ご当地ホームセンターの綿半、ご当地スーパーのツルヤも近辺にありますし、住みやすそうですね。
高速バスや車で長野インターチェンジから長野市街へ抜ける際にはほとんどの場合に通過する地区です。こんなところにも気を留めてみると、街歩きがさらに面白くなるかもしれませんね。
さて、次はどこを歩こうか。
(取材日:2020年1月12日㈫)