「む」の境地

旅と音楽とまぜそばと

【三重県木曽岬町】“三重じゃない三重”にある木曽を歩いてみた(2023.1.6)

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 個人旅行へ にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 長野県情報へ

以前、大阪~東京の高速バス「グラン昼特急」のレビュー記事を書きましたが、

www.sanmuofmusan.com

その時に伊勢湾岸道を通っていたら気になる場所がありました。それが、弥富木曽岬インターチェンジ。こんなところに木曽のつく地名なんてあるんだ~って地図を見ていたら…

陸続きの隣町は愛知県の弥富市。あれ…?これもしかして、三重県なのに三重県と接していないのでは…?
と思い、調べてみるとともに実際に訪問してみました。

 

三重県と接しない三重県

まずは、三重県木曽岬町の基本情報です。

木曽岬町役場

木曽岬町は三重県の自治体でありながら、陸地で隣接しているのは愛知県弥富市のみ。三重県の他の自治体とは木曽川の対岸に位置する桑名市と隣接しているのみで、陸続きではありません。離島自治体を除くと、極めて珍しいケースだと思います。

そうした理由から愛知県側とのつながりも強く、村内の郵便番号や電話の市外局番は、三重県ではなく愛知県側と共通のものとなります。

長野県を拠点とするこのブログらしく「木曽」というワードに触れると、現状長野県外で「木曽」がつく自治体名はここだけかと思われます(かつて愛知県木曽川町がありましたが、2005年に一宮市に合併)。そのような点も気になるポイントです。

ちなみに、町名の読み方は「きそさき」です。岬なのに「さき」なんですよね。不思議。

 

県境を跨ぐコミュニティバス

木曽岬町には鉄道が通っていません。ということで、まずは名古屋駅から近鉄電車に乗って、最寄りの近鉄弥富駅に到着。

弥富は文鳥の聖地なんだって。へぇ。

ここから、木曽岬町の自主運行バスに乗車します。

www.town.kisosaki.lg.jp

改めてお伝えしますが、ここはまだ愛知県です。木曽岬町の自主運行バス、三重県の自治体でありながら県境を跨いで運行していることになります。

そんな木曽岬町のバスですが、マイクロバスでの運行です。名古屋市中心部から15kmほどの距離でありながら、公共交通機関がマイクロバスしかないというのもなかなか興味深いですね。

ちなみに、運賃は一般乗車で1回200円。現金払いでお釣りなしだったのですが、そのことに乗車1分前に気づいて、慌てて目の前の自販機で千円札を崩しました…。

f:id:musan_tr_gh:20230108180527j:image

上記のリンクからバスの運行経路を見ていただきたいのですが、このバスは同じく弥富市内の海南病院も経由します。この海南病院は地域の広域医療を担っているようで、弥富駅~海南病院間は木曽岬町、弥富市、そして同じく愛知県愛西市のコミュニティバスも通ります。

左から弥富市、木曽岬町、愛西市の時刻表

乗車した木曽岬町バスについても、弥富駅~海南病院間のみの利用もありました。三重県の自治体のバスでありながら、愛知県内で完結する利用があるのはちょっと面白いです。

乗車したのが平日の日中(学校は冬休み中)ということもあり、乗客の大半が高齢者。少し面白かったのが、病院から乗ってきた高齢の方がバスの運転手と顔見知りで、新年の挨拶をしていたところです。そういうところも、コミュニティバスならではの光景ですね。

 

町営施設も“県外”に?

前置きが長くなりましたが、ここから木曽岬町内をぶらぶらしていきます。まずは、木曽岬町と弥富市の境界(=県境)を形成する鍋田川を見に行きます。とはいっても鍋田川は一部埋め立てされており、ここが愛知県と陸続きになっている部分です。

特に目を引くのが、鍋田川グラウンドと鍋田川テニスコート。

両施設は木曽岬町の管轄ではありますが、地図上でよく見ると、グラウンドの中を県境が通っていることになっています。かつての川の跡に沿って県境が引かれたままとなっており、厳密にいえば愛知県内に三重県の自治体施設の敷地が食い込んでいることになります。味わい深いですね。

f:id:musan_tr_gh:20230108184004j:image

これが実際にグラウンドの入口を撮影した写真。「木曽岬町球技場」とある通り紛れもなく木曽岬町の所有物ですが、この門が建っている右側は厳密には弥富市の土地である可能性が高いです。

逆に、鍋田川グラウンドの隣は愛知黎明高校野球部のグラウンド。学校名に「愛知」がつきますが、こちらもちゃっかり三重県側に食い込んでいるのが味わい深いです。ちなみに愛知黎明高校は、広島東洋カープ・栗林選手の出身校だそうです。

 

「海抜マイナス地帯」の宿命

そんな木曽岬町を語るうえで欠かせないのが、1959(昭和34)年に発生した伊勢湾台風です。伊勢湾台風では、当時の木曽岬村民の約1割が高潮により犠牲になり、村域の大半が水没したと言われています。

www.bousai.go.jp

伊勢湾台風の甚大な被害については様々な要因が言われていますが、地理的な要因でいえば、このあたりが海抜0メートル未満という、非常に標高の低い地域であることが挙げられます。

木曽岬町は、ほぼ全域が海抜0m未満

毎度おなじみ地理院地図で見てみると一目瞭然。木曽岬町の町域はほぼ全域が海抜0m未満。マイナス2m以下という場所さえもあります。木曽川の河口付近にあるため、津波や高潮による浸水のリスクが非常に高くなっています。こうした地形により、高潮が当時の想定を超え押し寄せたわけです。

町内には慰霊碑や文化資料館での展示など、様々な形で当時の被害を現在まで語り継いでいます。

三重県内の博物館・資料館/木曽岬町立文化資料館

そして、この地域が災害リスクが高いことはこれからも変わりません。そういうこともあり、津波・高潮対策は町内各所で見ることができます。

f:id:musan_tr_gh:20230108215603j:image
f:id:musan_tr_gh:20230108215805j:image
まず、海抜標高の表記は各所で見られ、危機感は常に植え付けられます。町の中心、役場や小学校のあるエリアも海抜-1.5mほどのエリアであり、役場庁舎、小学校ともに有事の避難場所として屋上に外から上がれる階段が設置されています。

また、木曽岬町全体で高層の建築物が少ないことから、津波避難タワーの設置や、3階以上の高さのある事業所の避難所指定なども行われています。

津波避難タワー

建物の2階以上を避難所指定された事業所

木曽川沿いに広がるひときわ大きな堤防に上ると、その地形の異様さが一目で分かります。東南海地震などが本当に起きたらこの町はどうなるのか、どれだけの対策をしても不安はいくらでも出てくるでしょう。

最後はその堤防からの景色をご覧いただき、この記事を終わりたいと思います。ちなみに、動画の途中で見えるジェットコースターは、あのナガシマスパーランドです。