長野市に善光寺があるということは大半の方が知っていることだとは思いますが、一方で長野市内に「善光寺」と名の付くJR線の駅は存在しません。
(長野電鉄には「善光寺下」という駅があります)
では長野県全体で見てみると、南部の飯田市に「元善光寺」という駅があります。
以前、全国善光寺会なるものについて触れましたが、
こちらの元善光寺も全国善光寺会の会員。”ちゃんとした善光寺”です。ということで、今回はこの元善光寺にクローズアップしてみたいと思います。
長野県で唯一、名前に善光寺が付くJR駅
元善光寺駅へは、飯田駅から3駅、10分もかからずに到着します。
文字通り、元善光寺への最寄り駅。徒歩10分もかからなさそうです。早速歩いてみることにします。
平日ということもあり駅前はとても静かでしたが、
参道に入っていく交差点には広めの駐車場もあり、時期によっては混むことが分かります。
元善光寺へと続く参道は渋くて雰囲気の良い道です。ぱっと見は住宅街ですが所々にお土産があるなど、参道としての風情も垣間見えます。
とりあえず主張が強い。
元善光寺の入り口に到着しました。誰が見てもここが元善光寺と分かる主張強めの門です。
早速境内へと入っていきましょう。
これが境内図。さすがに善光寺の名を冠しているだけあって立派な建物です。
本堂はちょうど一部工事中でしたが、内部は参拝可能です。ただし、お戒檀巡りはコロナの影響で中止されていました。
(長野市の方の善光寺は現在もお戒檀巡りができます)
本堂の隣に、元善光寺の由来について書かれていました。
元善光寺の紹介で必ず触れられるのが、「片参り」というワード。「一度詣れよ元善光寺 善光寺だけでは片参り」というのだそうです。
元善光寺のホームページより、その紹介文をのぞいてみましょう。
推古天皇十年に信州麻績(おみ)の里(現在の飯田市座光寺)の住人本多善光(ほんだよしみつ)公が、国司の供をして都に上がった時に、難波の堀にて阿弥陀如来様にめぐりあい生まれ故郷へお連れし、お祀りしたのが元善光寺の起源です。
善光寺の名は元は人名だったようです。
その後、阿弥陀如来様の御告げにより芋井の里(現在の長野市)に阿弥陀如来様を御遷しすることになった時、再び御告げがあって「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰り来て衆生を化益せん」との御誓願を残されました。そもそも善光寺の名は善光公の名を以って付けられたものです。
そもそも~の一文から、「こっちが本家本元なんだぞ!」という熱い主張が聞こえてきます。
御詠歌「月半ば毎にきまさん弥陀如来、誓いぞ残る麻績の古里」とある様に、古来長野の善光寺と、こちら飯田の元善光寺と両方お詣りしなければ片詣りと云われております。
ということだそうです。とにかく、善光寺への強い意識が所々に垣間見えます。何はともあれ、おかげさまで、これで「両詣り」できました。
元善光寺の気になるスポット
ところで、元善光寺の境内には他にも面白いスポットがありましたので、いくつか紹介したいと思います。
これは一体‥
「もとぜんこうじ」から始まるあいうえお作文ですかね。結構縛りが強めです。
右から縦読みしていきます。
もとぜんこうじ
とてもよさそう
いきなりずいぶんアバウトな表現きましたね。
ぜひまいってこ
ノリで参拝してみたらええやん。
んせいだんだん
ごめんなさい。わかりません。「ん」から始められるのはアフリカの地名くらいでしょう。
ことしもよいぜ
なぜか僕の脳内では芸人のスギちゃんが急に現れました。なんか違う気がしますが。
うちのみんなと
じぶんともども
最後はいい感じにまとまりましたね。
結局、これ何なのでしょうかね。
コロナ時代の手水
参拝前に手を清めるための手水。
コロナ対策のため、柄杓の共用をやめるところはよく聞きますが‥
元善光寺では、
手水舎の水を全部抜いてアルコール消毒液を置くという、何ともワイルドな手法をとっています。
上田市の真田神社では、鈴緒(神社でガランガラン鳴らすアレ)が取り外されてセンサー式で鈴の音が鳴るようになっていたのも結構衝撃でしたが、こちらもなかなかのインパクトです。
コロナ時代の参拝ルールですね。
途中話が変な方向へ行きましたが、長野県の南部(南信地域)へお越しの際にはぜひ元善光寺にも立ち寄ってみてください。
最後に…。
元善光寺駅は「善光寺」が駅名に付く”長野県で”唯一のJR駅です。
そう、”全国で”唯一ではないのです。
もう一つの「善光寺」が付くJR駅にして日本唯一の正真正銘「善光寺駅」は、実は山梨県にあります。まだ足を運べていませんが、そのうち行ってみたいと思います。
(訪問日:2020年9月18日(金))