長野市の地名を楽しむ街歩き、第2回は川中島です。
川中島という地名は、合戦の場所として多くの人が知っていることと思います。現代でも川中島古戦場として観光スポットとなっています。
というわけで今回は、川中島という地名について考えながら、JR川中島駅から川中島古戦場まで歩いてみたいと思います。
新幹線の下にある川中島駅
まずは長野駅からJR信越本線で2駅、川中島駅へ降り立ちます。
長野駅から篠ノ井駅の間は在来線と新幹線がほぼ並行しており、川中島駅についても新幹線の高架下にあります。
川中島駅も現在は昼間は無人のこぢんまりとした駅ではありますが、川中島古戦場マップが貼ってありました。模造紙のアナログ感がたまらないですね。
それなりに年季が入っているのか、文字が消えかかっていますが。川中島古戦場まではどれくらいかな~。
4km。
あ、はい。歩きます(知ってた)。
駅前銀座を歩く
何はともあれ、川中島古戦場に向けて歩いてみましょう。
古戦場は南東の方向。まずは、駅前銀座を南下していきます。まあ駅前銀座と言っても(察し)という感じなんですが、それは置いといて。
保育園横の「遊園地」
駅の南側を国道19号のバイパスが通っています。その手前に川中島保育園、川中島小学校があります。
そして川中島保育園に隣接するこの公園の名前は…
上氷鉋遊園地。
…遊園地?
見た限り利用用途は、子供向けの遊具とゲートボール場、といった感じですが。
この遊園地というもの、長野市内では結構見かけます。いわゆる遊園地とは規模が全く違いますが、どうやら「住宅街にある児童公園」といった位置づけのようです。なぜ遊園地という統一された名称がついているのかは非常に気になるところですが。。
この「遊園地」についても、そのうちリサーチしていきたいと思います。
川中島町域と川中島古戦場
さて、この上氷鉋遊園地にはさらに着目ポイントがあります。
それは上氷鉋という地名。
最近、下氷鉋という地名について取り上げましたが、
下氷鉋と上氷鉋は、そもそも元々属していた自治体が違います。下氷鉋は旧更北村、一方で上氷鉋は旧川中島町です。ただし現在の川中島古戦場に近いのは下氷鉋の方です。
ついでに言えば、JR川中島駅は旧川中島町、川中島古戦場は旧更北村となり、川中島古戦場はそもそも川中島町域ですらないということが分かります。
さらに言えば、川中島古戦場は川中島の戦いの合戦場そのものということでもなく(観光用に整備された公園)、川中島の戦いの激戦区とされたのはむしろ現在の南長野運動公園の西側あたりなんだとか。
そしてこちらには、その名も「合戦場」という地名が残っています。ただしこの合戦場は住所で言えば旧篠ノ井市。こちらも旧川中島町ではありません。なかなか興味深いですね。
旧川中島町は、現在の信越本線の線路に沿って南北に伸びた土地のようです。川中島駅の他、隣の今井駅についても旧川中島町ということになっています。
だからかどうかは知りませんが、川中島交番は川中島駅前ではなく、今井駅前にあります。紛らわしい。
ここまでの話を地図上で整理します(Googleマップより)。
▽▽今井駅周辺の街歩き記事はこちら▽▽
そもそも川中島という地名そのものが、「千曲川と犀川に挟まれた土地」ぐらいのざっくりした位置づけだと思うので(戦国の世にちゃんとした町域なんぞなかったわけだから)、そんなことを気にするまでもないのですが、そんなことまで気にしてしまうのが当ブログであります。
旧川中島町を出る
脱線が長くなりましたが、要はここから先は旧川中島町域を外れ、川中島古戦場へと歩いていくことになります。
先に触れた国道19号バイパス。稲里町近辺はロードサイド店舗が立ち並び、現代では非常に買い物が便利な土地になっています。
つい数日前に下氷鉋の取材をしたばかりなのに、結局また下氷鉋を通っています。
この日は快晴。振り返ると飯縄山がきれいに望めます。
とまあのびのびと歩いてきましたが、少し遠回りをしたのもあり、川中島駅をスタートして1時間20分ほどが経過。歩いた距離も5kmを超えてきてなかなかバテてきました。
というところで到着。
まとめ
川中島駅から川中島古戦場へは徒歩約1時間半。5kmほどの道のりになります。
実際に川中島古戦場へ行きたい方は、長野駅から松代方面のバスに乗って行かれることをオススメします。日中は30分間隔での運行です。
また上信越自動車道の長野インターチェンジからも近いため、車がある方は車が便利です。
つまり、川中島駅は川中島古戦場への最寄り駅ではありません。それだけはくれぐれもご注意を。
(取材日:2021年1月15日(金))